大阪都構想ってなに

8 「都構想」と日本国憲法

都構想と日本国憲法の関係はどうなりますか。
 日本国憲法は,第8章において「地方自治」という項目を設け,92条から95条までその内容について定めています。
 国の形を定める日本国憲法が,なぜわざわざこのような項目を設けたのでしょうか。
 そもそも戦前,都道府県の知事は,中央官庁から派遣された人物が就任しており,現在のように住民の選挙で決められるものではありませんでした。明治以来,強い国を目指した日本は(「富国強兵」),中央に権力を集中させ国内隅々まで,その強い権力で統治することを目指したのです(「中央集権」)。つまり,「1人の司令官」(=天皇)のもと,その人物が号令をかければ国がそのとおりに動くような政治体制を作り上げようとしました。
 しかし,このような中央集権的な体制は,日本を無謀な戦争に向かわせ,多大な損害を与えた後,敗戦により日本国憲法が制定されたことにより大きく変わりました。
 日本国憲法は,92条において「地方自治の本旨に基いて」地方公共団体の組織や運営を定めるように求めています。
 この「地方自治の本旨」とは,住民自治と団体自治を意味します。
 住民自治とは地方自治がその地域の住民の意思に基づいて行われること,団体自治とは地方自治が国から独立した団体に委ねられることを示します。
 戦前のような中央集権的な体制は,地方に居住する住民の意思を無視し暴走してしまう危険があることから,地方のことはその地域に居住する住民の意思を尊重すると共に,その住民の意思が反映された団体に一定の権限を与え中央を抑制する機能を果たすようにしたのです。
 従って,このような組織は,一定の財源と権限を有していることが大前提となります。いくら地方の政治が住民の意思に基づいている,といっても,権限もそれを実現する財源もなければ,それは絵に描いた餅だからです。
 このような観点から,知事,市長,議会の議員などが選挙で選ばれ(住民自治),そのうえで,都道府県や市町村は住民自治を実現するための権限と財源を有しているのです(団体自治)。
 都構想は,このような,「たったひとりの司令官」の誤りを地方から抑制するという日本国憲法が戦前の反省から定めた「地方自治の本旨」に反し,再び,「たったひとりの司令官」に多くの権限を集中させようとするものだと言わざるを得ません。
 府知事からは「二重行政」として無駄に見える市の住民サービスも,市からすれば,府では実現することの出来ない必要不可欠なサービスであることもあり得るのです。そのような場合に,府知事と対等に対峙できる権限と財源をもった市長がいれば,そのサービスを継続することができます。
 大阪市の権限や財源を,あえて4つの特別区に分けてその力を弱めることを内容とする都構想は,このように,様々な住民の意思を出来るだけ多様に実現するための「地方自治の本旨」の趣旨にも反するものです。