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憲法22条 職業選択の自由

憲法はどんな仕事に就くこともできる権利を保障しているってホント?
はい。憲法は、職業選択の自由を保障しています(22条1項)。でも単に、就きたい仕事を選べるだけでは意味がありません。
え?そうなの?
例えば、パン屋になることを選べたとしても、そこでパンを焼いて商売することができなければ意味がないでしょ?憲法22条1項は、選んだ職業を遂行する自由、すなわち「営業の自由」まで保障しています。
じゃあ、何をやっても良いってこと?
いいえ、職業選択の自由(営業の自由を含む)は、何でもかんでも自由というわけではありません。例えば、毒草や毒薬を自由に売ってもよいということにはならず、国民の生命や安全を守るために、憲法は、一定の規制を設けることを予定しています(消極的規制)。
その仕事によって、国民の生命や安全さえ侵害される恐れがなければ何をしても良いの?
いいえ。憲法は、「積極的規制」というのも予定しています。これは、大企業と経済的な弱者(例えば零細の中小企業や零細農家など)を同じ土俵で競争させれば、たちまち中小零細企業(農家)が潰れてしまうことになるので、そうならないように、一定の法規制を行うといった場合です。
でも、どんな仕事に就いても良いっていわれても、現実問題、貧しい家庭に生まれたら就けない仕事もあるのでは?
確かに、貧しい家庭に生まれたら、自分の希望とは関係なく、生活のためにどんな仕事でも我慢せざるを得ないというのが今の日本の現状です。また、やりたい仕事、進みたい進路があっても、お金がないために諦めることを強いられている人たちもたくさんいますね。
そうだとすると、結局は、職業選択の自由っていっても全ての人ではなくて、一定条件を満たす人だけのものになってしまうのでは?
でも、憲法は、25条1項で「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障しています。これは、単に空腹を満たすことだけを保障しているのではなく、「文化的な生活」営むことまで保障するものなの。「貧しい人は、どんな仕事をするのか、どんな生活をしていくのかについて、とにかく我慢を強いられる」ということでは、「文化的な生活」を保障したことにはなりません。今の日本で憲法25条1項の精神がどれだけ活かされているのかについては、正直疑問を持たざるを得ないところです。しかし、「どんな家庭に生まれても就きたい仕事に就くことができる」という憲法の理念を実現させたいものです。